銀魂最終長編を語ろう2 坂田銀時が「大人」である理由を考える
銀魂最終長編を語るために、まず書きたいことがあります。
銀さんの年齢のことです。
銀さんの年齢は作中ではっきりと明示されていません。
(生年が分からないからでもあるけれど)
20代という大まかな設定と、近藤勲(28)、土方十四郎(27)との付き合いの様子、日々の言動からおそらく20代後半(初登場の段階で27~29、二年後で29~31?)あたりと推測できますがそれ以上はわかりませんね。
普通の人間だったら「そろそろ10代とは違うなあ」と思い始める年齢だと思います。
作者の空知先生も何度か言及されていますが、銀さんは「大人の」主人公なんですよね。
どうして坂田銀時は大人設定だったのでしょうか?
少し考えてみようと思います。
銀魂が長年連載されていたのは週刊少年ジャンプ、それ故に、掲載される漫画の主人公はその多くが10代の少年少女です。
理由はいくつか考えられます。
ひとつ目は、「読者層が10代の中高生から20代の若年層が主体」であること。
主人公の年齢が近ければ、彼らの共感が得られます。(誰でも1回くらいはオリジナルキャラクターを妄想したりしませんでしたか?私だけですか?)
もっと言えば「学校」「部活動」「先輩後輩」といった中高生に身近な舞台設定を取り入れられます。スポーツ漫画や恋愛漫画などが典型的な例でしょうか。
ふたつ目は、「成長という変化」がストーリー漫画の醍醐味だという点でしょう。
作中の時間が流れる漫画であれば、多かれ少なかれ時間経過と共にキャラクターに変化が起きます。我々読者はその変化を楽しんでいるわけですね。
主人公たちが10代であれば、そこから20代に入るまで数年間分の著しい成長を描写することが出来ます。
特にバトル描写のある漫画では顕著ですね。
敵を倒すため修行して強くなり、また強敵が出てきて……といった繰り返しの中に、確かに主人公たちの成長を感じられます。
このようなことから、ジャンプのバトル描写のある漫画において、最初期から主人公が20代後半の大人で、パチンコや深酒をしてゲロを吐くダメ人間に設定されているのは極めて珍しいと言えるのではないでしょうか。
私は、大人の格好良さとしての「粋」を描くためだったのではと思います。
普段の坂田銀時は、どこか飄々としてつかみ所のないキャラクターです。
確固たる目標もなく、日々を生きる一市民。パチンコに夢中になったり、女子アナのフィギュアを持っていたり、従業員の給料を払わなかったり意地汚かったり。
おおよそ少年少女の憧れとはほど遠いです。
しかし、シリアス展開では打って変わって、彼はあらゆる困難を乗り越え、弱い者を助ける真のサムライとして描かれています。
初期の新八などはいつも銀さんに助けを求めているし、作中のキャラクターは何かあると必ず銀さんに助けを求め、銀さんを信じて力を貸しています。
そして銀さんも、必ずその要求に応えるのです。
弱きを助け、強気を挫く。
これをヒーローと言わずして何というのでしょう。
平時のだらけっぷりが嘘のように決めるところできっちり決める。
世の中や人情の機微を理解し、筋を通すことが出来る。
坂田銀時はそういう「粋」を体現した男なのです。
物語開始時点で坂田銀時は、一本筋の通った強い男性であり、絶対倒れない大将であり、みんなを導くリーダーの役目を担うことになっていた。
そのためにはこれから成長する少年ではなく、大人の格好良さ、「粋」とはなにかを知る「成熟した大人」である必要があったのではないでしょうか。